名 称 安長(やすなが)神社
鳥取市安長は千代川下流の西岸に位置する地域です。低地にあるため集落はしばしば氾濫に見舞われていました。近世初頭に亀井茲矩(かめいこれのり)が村を守るために築いた堤防(嵐が鼻土手)が現在も残っています。
安長神社はかつては「祇園牛頭天王(ぎおんごずてんのう)」と称しました。明和6年(1769)年の「高草郡神社御改帳」によれば、当時の社殿は3尺四方で柿葺であり、神楽殿もあったと記されています。
明治元年(1868)に安長神社と改め、末社稲荷神社と菅原道真(すがわらのみちざね)の御霊を合祀しました。先述の「神社御改帳」に「天神」として1尺四方で板葺の社があったと書かれていることから、菅原道真公の御霊をお祀りする小祠が江戸時代からあったと考えられます。その後、明治4年(1871)に村社となり、同40年(1908)には神饌幣帛料供進神社に指定されました。
社殿からは鳥居を通してかつて鳥取城のあった久松山(きゅうしょうざん)を真正面に望むことができます。また社殿前に立つ狛犬は千代水地区では唯一の構え型(出雲型)をしています。3年に1度大祭が挙行され、御幸(みゆき)行列の様子を表した祭礼絵巻が伝わっています。