大山祇(おおやまづみ)命は日本神話に登場する神様で、別名を「和多志大神(わたしのおおかみ)」といいます。
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)の御子で、木花咲耶姫(このはなさくやひめ)命の父でもあります。
「おおやまずみ」が「大山に住む」という意味であるという説や、「み」が「神霊」という意味であるという説などから、総じて「山の神」であると言われています。その一方で、水源や田の実りも支配することから「水の神」「田の神」としても信仰されてきました。また、別名の「和多志大神」の「和多」は「綿津見(わたつみ)=海神」の「わた」を意味するという説もあることから、現在では山と海、両方をつかさどる神であると言われています。
『鳥取県神社誌』によれば、かつて賀露村は一面が砂浜であり、作物や樹木の生育に支障をきたしていたため、山や田の神の守護神である大山祇命を伊豆国(静岡県)の三島神社より勧請し、賀露、秋里(あきさと)、江津(えづ)、南隈(みなみがくま)、晩稲(おくて)の五ヶ村の総鎮守として祀ったとあります。また、一説には伊予国(愛媛県)の大三島神社から勧請したとも伝えられています。
昭和はじめ頃の賀露神社
17世紀後半に成立した『稲葉民談記』の編者である鳥取藩医の小泉友賢(こいずみゆうけん)は、賀露の川上にある三嶋(鳥取市秋里)は「三島」に通じるとし、伊豆の三島神社が大山祇命をお祀りしていることから、賀露神社と秋里の三島神社の関わりを指摘しています。また、寛政7年(1795)に編纂された『因幡志』の編者安陪恭庵(あべきょうあん)は、「当時、この地には三嶋大明神が鎮座していたが、吉備公漂着の後、三嶋の祠を今の三嶋の地に遷した」と記しています。