藩校尚徳館のあった場所。現在は県立図書館・公文書館が建っています。写真左は尚徳館の碑。藩主池田慶徳の直筆といわれています。
武甕槌命が賀露神社の御祭神として合祀されたのは安政5年(1858)のことです。
江戸時代、鳥取城下にあった藩校尚徳館(しょうとくかん)には宇倍神社と賀露神社の両社が勧請され小社が建立されていました。
当初賀露神社の小社には学問の神様である吉備真備公がお祀りされていましたが、安政5年に藩主池田慶徳(いけだよしのり)は水戸(茨城県)の弘道館にならって尚徳館内に武勇の神を祀るように命じます。
そのため吉備真備公に代わって武甕槌命をお祀りすることとなり、安政5年12月に京都から賀露神社へ勧請されました。そして、学校内の社殿を新築して翌6年11月に賀露神社から尚徳館へ武甕槌命が勧請されたのです。