名 称 荒木三嶋(あらきみしま)神社
オホーツク海に浮かぶ北海道利尻島。明治時代に多くの鳥取県人が移住しました。
鳥取市秋里は北海道利尻島と独自の文化交流を続けています。
鳥取から1300km離れた北海道のオホーツク海に、大山とほぼ同じ標高1721mの利尻山を抱える利尻島があります。
明治時代、この島に鳥取県から多くの人々が移住しました。彼らは「因幡衆」と呼ばれ、当時最盛期を迎えていたニシン漁に従事しました。
明治40年頃、島の南部にある仙法志(せんほうし)地区の長浜神社(ながはまじんじゃ)に、鳥取市からの移住者によって麒麟獅子一式が伝えられました。
このとき長浜の子どもたちに麒麟獅子舞を指導したのが、鳥取市秋里出身の伊佐田長蔵でした。伊佐田長蔵は明治20年代に一族で利尻島に渡り、ニシン漁の漁場の経営者として多くのヤン衆(出稼ぎ漁夫)を雇い「親方」と呼ばれていました。
利尻町長・教育長を表敬訪問して交流を呼びかける荒木昌会長(左)ら(平成13年)
麒麟獅子舞は長浜神社の例大祭で舞われていましたが、大正時代のはじめ頃を最後に途絶え、以後は舞う人もなく、人々の記憶から忘れ去られようとしていました。
しかし、平成8年(1996)に利尻町立博物館で麒麟獅子一式が保管されているのが確認され、獅子舞を指導していたのが伊佐田長蔵であったことが明らかになると、同13年に荒木三嶋神社伝統文化保存会の荒木昌会長らが利尻島へ渡って交流を呼びかけ、麒麟獅子を通じた秋里と利尻島の交流がはじまりました。
交流は年々盛り上がりをみせ、やがて利尻麒麟獅子舞復活の動きが起こり、平成15年(2003)には利尻町立博物館の西谷栄治学芸係長の呼びかけにより「利尻麒麟獅子舞う会」が結成されました。
荒木三嶋神社の例大祭で約100年ぶりに里帰りした利尻麒麟獅子(平成16年)
「舞う会」のメンバーは漁師や会社員などさまざまで、最初はビデオを見ながら見よう見まねで練習していましたが、秋里から保存会のメンバーが指導に訪れたり、「舞う会」が秋里を訪ねて舞いの手ほどきを受けるなど練習を重ねた結果、麒麟獅子舞の難しい動きを短期間のうちに習得していきました。
そして平成16年6月20日、長浜神社の例大祭で約100年ぶりに麒麟獅子舞が復活し神前へ奉納されました。当日はかつて移住者たちが伝えた麒麟獅子舞を一目見ようと、島の内外から約300人の人たちが境内に集まりました。(この様子は翌日の「北海道新聞」の第1面に掲載されました。)
翌年4月には伊佐田長蔵のふるさとである秋里を「舞う会」が訪問し、荒木三嶋神社の例大祭に合わせて神前で里帰り奉納舞いを披露しました。
利尻島長浜神社の境内で競演する秋里(右)と利尻の麒麟獅子(平成22年6月)。
その後も秋里と利尻島の交流は続いており、毎年のように相互訪問したり、近年では城北地区の公民館祭で利尻の物産を販売したりしています。
また、利尻島では秋里の麒麟獅子舞に島の風土を取り入れた新たな麒麟獅子舞を創り、島の伝統文化として大切に守り継いでいこうという機運が高まっています。平成21年には国土交通省が選定した「島の宝100景」の1つに「北の島で舞う利尻麒麟獅子」が選ばれました。
若い世代の交流も進んでおり、今年の6月には秋里の保存会の若者たちが利尻島を訪れ、老人ホームを慰問したほか、「舞う会」のメンバーと親睦を深めました。
来年4月の荒木三嶋神社の例大祭には再び利尻島から麒麟獅子が里帰りし、新しい利尻麒麟獅子舞を神前に奉納する予定です。